カメ岩・チャシコツ岬の上を探検!
2020.7.15
お知らせ
知床に来た方なら一度は目にしたことがあるであろうカメ岩ですが、
正式名は「チャシコツ岬」といい、竪穴建物やお墓などのオホーツク文化時代(約5~13世紀)の遺跡がある場所なのです。
そして、神功開寶(じんぐうかいほう)という本州の古代律令国家で流通した貨幣が発掘されたことで、国史跡に指定されました!
→神功開寶について(Wikipedia)
先日、7月12日に知床斜里博物館さん案内の元、チャシコツ岬の上を探検してまいりました!
※遺跡の保存等の面から一般の方の立ち入りはご遠慮ください。
予想以上の急斜面をロープを伝いながら10分ほど上った先には、居住空間があったであろう大きな穴がたくさん!その数は31つあり、その中でも大きいもので六角形の長辺が12mもあるそうです。中心に作業場があり、建物の壁側には木の板でベッドを作っていたそう。担当していただいた学芸員さんのお話が面白く、たまにくすっと笑いながらも真剣に想像力を働かせ、昔のチャシコツ岬の上での暮らしぶりをイメージしていました。
周辺には魚の小骨や土器のかけら、クジラの骨などが落ちており、恐らく30名ほどの人々が、海獣の狩猟などを中心に共同生活していたと解説していただきました。また、ヒグマをはじめとする動物の骨が埋まった動物儀礼場もあり、アイヌ文化に通ずる文化の形成があったのではないかとの推測もありました。
今は木々が生えていますが、チャシコツ岬の上は見晴らしがよく、天気がいいと知床連山や海の方向には網走までもくっきり見えるそうです。初めは大陸側(樺太等)との交流が盛んだったのですが、大陸の情勢が不安定になるにつれてその交易先は本州へと移り、その際により見晴らしのいい場所を求めてチャシコツ岬の上へお引越ししたとのことです。
驚くことに、それまで住んでいたのは現在の「北こぶし知床Hotel&Resort」がある場所とのことでした!
知床と本州、今は同じ日本ですが、きっと1200年前は遠い会ったこともない方々だったでしょう。そんな遠いところが繋がり商いをしていて、その際の貨幣が出てくるなんて…、これぞ歴史のロマンというものでしょうか…!?
現在はまだ調査中でもあり、利用における整備も整っておりませんので一般の方のご利用はご遠慮いただいております。
侮れない知床のカメさん。いつか皆さんにも遺跡を目の前にお話しできるようになれればと思います。
→チャシコツ岬上遺跡について詳細はこちら(知床斜里博物館より)